政治を観る。
神さまから伝えられていたこと。
鳥羽伏見の戦いで、長州藩が旗をとった時に、天皇から神が上がりました。そして、敗戦後、マッカーサー元帥を前にした天皇に、神が戻りました。
天皇の象徴である、"錦の御旗"を勝利の旗として武士が手にした。これが、致命的だったのです。
天の神は、戦はしません。
天の神が、天皇におさまる時、国は安泰となります。
この時の尊王攘夷は、人の手へと渡ってしまったのです。
神の手を離し、人だけでつくりあげた明治維新。戦争へと巻き込まれていったのも、当然の成り行きなのです。神風は、吹いていなかった。
ある意味、国民は、国内にある権力から憲法によって護られた、とも言えるのです。
そして、神は、旗をとったのは、長州藩と言い切ります。ここで一体なにがあったのでしょう。
さて、2018年9月、地の神代の紐解きで呼ばれて、山口へ向かいました。向かう機中にて、頭を垂れ膝を揃えて並んでいる人たちが観えます。私はいつも本源のアマテラスと一緒にいたので、この方たちは、天の神の御前に自ら並んでいるのです。亡くなると、自らを顧みることができる。生きている間は、自らは観えないものです。
その時の様子は、こちら。
国政あらため、長門国一ノ宮〜住吉神社にて - 書庫『魂の教科書』
その後の神社の御意が伝わってきます。
天の神降りると、なにごともはっきりとしてゆきます。地も人も治まりゆけば幸いです。
この時にもうひとつ訪れていたのが、山口大神宮。天照大御神と豊受大神が鎮座し、遷宮ができるように立派につくられていますが、ここでもやはり鏡の力は落ちていました。これも、中国地方の歴史的な背景があります。
一度では祓い切れずに、この時はそのままに。
その後も、現政の独断ぶりが気になり、1年後の西日本出張の際に山口まで足を運びます。到着したのが夜遅く、タクシーで宿まで。タクシーの運転手さんから地元のお話を聞いているうちに首相のことも話題に。現地に行かないとわからないことがいつもありますね。
さて、翌日、炎天下のもと神宮参拝。
かなりの時間をかけて地と歴史を浄めました。
そして、本源の神様御鎮座。
同時に、蝉が一斉に鳴き始めました。自然界も、天の神波動に喜んで、生気を取り戻します。列島すべて、そうありたいところです。神意に呼ばれれば参ります。
桜散る。地元の方も、今時期いろいろあるかと思いますが、天照大御神の御神徳を仰いで、天の理に添いながら、地を治められることを願います。
ちょうど今年、御鎮座五百年式年祭が行われるそうです。ぜひ、ご参拝の折には、奉賛金をお納めください。御本殿が修復され、神威も上がります。
お昼休みに、ワイシャツ姿で参拝されている方たちが、次々にいらっしゃって嬉しくなりました。地域に愛されている神社でありますね。
歴史は、国に残り、地に残り、人に残っています。今の地球では、重ねて重ねて、最後まで祓い切ることが進む道。ゆえに、国が安泰となるまで、世界が平和になるまで動き続けたいと思います。
中央では、明治からの歴史のお片づけが待っています。主流を間違えると、国が成り立たないのです。
霊性高い日本の地に還りましょう。
岡崎美穂